M-1グランプリ2021で錦鯉さんが優勝してから早くも一週間が過ぎた。
M-1グランプリの審査の中で、ナイツ塙さんからハライチさんに対して「ラストイヤーでやりたいことをやり切って良かったと思う」というコメントがあった。
一方、オール巨人師匠からは、他のお笑い芸人が審査員の意見を聞いて自分たちの漫才を修正する姿勢を、「聞く耳を持っていて素晴らしい」と評価している場面もあった。
毎年M-1グランプリに挑戦するお笑い芸人の方々を見ていると、自分のやりたいことをやり切るか、人の意見に耳を傾け、素直に取り入れるかで葛藤している様子が伺える。
漫才は作品
お笑い芸人の方々が作る漫才やキャラは、その人達の作品と捉えることができる。
そして人の意見を取り入れて手を加えてしまうと、自分達が作り上げてきた作品・世界観が崩れる気がしてしまい、人の意見を受け入れることが難しいのも理解できる。
また、お笑い芸人以外にも芸術家やミュージシャンの方々も似たような状況があるのではないかと想像している。
研究者も似たような心境に
私も含めたふつうのサラリーマンが仕事をする際、自分のやりたいことは二の次にする必要がある。
本来、仕事において優先すべきは、お客様の意見であり、お客様を満足させることを第一に行動すべきである。
しかしながら、研究という仕事をしていると、ときに自分の意見を優先したくなるときがある。それは研究成果を論文にまとめるときである。
論文には審査があり、審査を通過するためには、ときに審査員(や上司)の意見を聞く必要が出てくる。
例えば、「この論文では、もっと○○に関して掘り下げて書いた方が良い」とか、「××に関する記述は丸々なくした方が良い」など。
これらの意見に全て素直に従うと、自分が元々書きたかった論文とは、方向性が変わってしまうこともある。
人の意見を取り入れても自分の作品は無くならない
審査員(や上司)の意見を取り入れて論文を直すことで、論文の方向性が少々変わることがあっても、論文および自分の研究がなくなることはない。
特に研究の場合、論文は採択されて終わりではなく、今後、半永久的に残り続ける。
そして自分の作品が、他の研究者に引用され、後世の研究の発展に貢献し続ける。
(ここら辺は、お笑い芸人の方々とは異なる点である)
結局言いたいこと
錦鯉さんは40, 50代のコンビであるが、年を取ってからも、人の意見に耳を傾けて、自分たちの漫才にうまく取り入れ、漫才を改良しており、大変素晴らしいと感じました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。